あず沙の映画レビュー・ノート

しばらくお休みしておりましたが、そろそろ再開いたしました
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パッション
2004  アメリカ  洋画  ドラマ  バイオレンス  
作品のイメージ:切ない、スゴイ、ためになる
出演:ジム・カヴィーゼル、モニカ・ベルッチ、マヤ・モルゲンステルン、ロザリンダ・チェレンターノ

一言で言えば、あまりにも痛すぎる作品。劇場で観る勇気がなかったのだが、いずれ観ようと思っていたので、意を決してDVDで鑑賞(そう言えば、ユダヤ人が悪者に描かれていたので、ユダヤ資本の大きな劇場ではあまり上演していませんでしたね)。イエス・キリストは、弟子のユダに裏切られ、大司祭が差し向けた兵に捕らえられる。そして、裁判で自らを救世主だとほのめかしたイエスは、神の冒涜者としてローマ提督に引き渡される。ローマ提督は、イエスに対して敵意のある司祭と群衆を前に、彼を十字架にかける決定を下す。鞭打たれ、傷だらけの体で十字架を背負いゴルゴダの丘へと足を進めるイエスは、それでも人々のために祈り続けた・・。

 

メル・ギブソンが12年の歳月をかけて構想を練り私財をはたいて制作した作品で、新約聖書が忠実に再現されている(でも歴史的事実とは100%一致するわけではないので、フィクションということになるのでしょう)。イエスがゴルゴタの丘に向かう途中で倒れた回数まで、きっちりと新約聖書通りなんだとか。また、アラム語、ラテン語やヘブライ語など、当時の人たちが喋っていた言葉が、そのまま使われている。イエスたちはアラム語を喋り、ローマ人同志はラテン語を話している。目を覆いたくなるような残虐なシーンの数々・・それを観ている母マリアと奥さんであるマグダラのマリア(モニカ・ベルッチ)の辛さが、セリフからではなく映像から伝わってくる。

 

あまりのショックで死人も出たという本作・・いろんな意味において物議を醸し出したとのことだが、クリスチャンではない私にとっては、新約聖書を詳しく知る意味でとてもためになった。なんせセリフは英語ではないので、セリフよりも映像で「最後の晩餐」から「十字架に磔にされる」シーンまで詳しく(そして痛く)知ることができた。しかし、ここまでリアリズムを追及する必要があったのか・・という疑問が残る。受難の厳しさを表現したかったことはわかる。しかし、イエスが鞭打ちの刑を受けるところや、十字架を担いで坂を上っていくところ、十字架刑に処せられるところは、非常に凄惨なシーンの連続で、私にはちょっと過度な演出のように感じられた。

 

イエスを取り巻く人々の動きが、生々しい。お金のために自分の師を売るユダ、群衆の力に負けてしまうローマ提督、無理やり十字架担ぎを手伝わされるが自らの意思でイエスの十字架を担ぐようになるシモン、そしてマリアを守るヨハネ・・。もし、自分が母マリアだったら、あんなにじっと苦しみを耐えることはできない。きっと泣き叫んでしまうと思う。マグダラのマリアであったとしても、然り。また、自分がイエスであったら、こんな酷い目に合わされて人々のために祈るなんてことは到底できないであろうと思った。ここが、イエスが救世主である証しであり、「神」として復活する所以であろう。

 

私はDVDで一度しか鑑賞していないが、クリスチャンの方、新約聖書に詳しい方には、何度も鑑賞してメル・ギブソンが細部までこだわり全身全霊を込めて制作した真価を見いだせる作品ではないだろうか。★3.2

ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
2003  アメリカ  洋画  ミステリー・サスペンス  ドラマ  
作品のイメージ:感動、切ない、ドキドキ・ハラハラ、ためになる
出演:ケヴィン・スペイシー、ケイト・ウィンスレット、ローラ・リニー、ガブリエル・マン、マット・クレイブン

死刑執行に対するアラン・パーカー監督の思い、そして死刑執行に反対する人々の思いが鋭く描かれた衝撃のサスペンス。舞台は、アメリカの死刑論争の中心地であるテキサス。大学の哲学科で教鞭を執る人気教授デビッド・ゲイル(ケヴィン・スペイシー)は、家庭では良き父親であり、死刑制度反対運動に熱心に取り組む活動家でもあった。しかし、活動団体の同僚の女性を強姦・殺害した罪に問われ、死刑執行目前の状況。デビッドに単独インタビューすることになった女性記者ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)は、処刑まであと数日に迫った彼を取材するうちに、彼がそんな罪を犯した人間のようには思えず、冤罪の可能性を探る。やがて、一本のビデオテープが、ビッツィーのもとに送り付けられてくる。果たして、デビッドは本当に罪を犯したのか? それとも、冤罪で処刑されそうになっているのか・・?

 

テキサスでの死刑の執行回数は全米第一位であることから、選挙の年には特に、死刑制度についての政見が議論の的になることが多いと言う。また、注目度の高い死刑囚の死刑執行に際しては、映像ロケにあるように、多くの人が集まり反対する人たちがデモを繰り広げることも少なくないとか。ロケ地であるハンツヴィルという地域には、死刑囚の棟も含め七つの刑務所があり、「世界一の処刑地」と呼ばれている。2002年においては、米国での処刑の半数は、このテキサスで行われたよう。アラン・パーカー監督は、おそらく死刑執行に反対であるのだろう。死刑制度反対運動の活動家の演説を通して、監督の思いが押し付けがましくなく語られているように思える。

 

しかし、本作はそんな社会派サスペンスではあるが、単なる小難しい作品で終わっていないところが凄い。ストーリーが二転三転し、観客を飽きさせない。また、死刑制度という問題を提起していると同時に、父親の子供への想いが痛いほど感じられる。その父親の思いを強調するという意味で、三つ目の未公開シーンが本作の重要なカギになっているように思え、このシーンについては本編に含めてもよかったのではという気がした。

 

ビッツィーに過去に何があったのかを伝えるデビッドの表情、死刑制度反対運動の活動家としてのデビッドの表情、息子のことを思うデビッドの表情・・そして、驚愕のラストのデビッドの表情。ここまで演じ分けられるのは、ケヴィン・スペイシーをおいて他にはいないであろう。ケイト・ウィンスレットの熱演(よく走りましたね〜)もさることながら、やはりケヴィン・スペイシーなくして本作は成り立たなかったと言えるのではないだろうか。

 

ビッツィーの存在は観客の視点で描かれていて、観客は自然にビッツィーに感情移入できるような絶妙な構成となっている(もちろんケイトの演技力の賜物でもありますが)。ラストまで観てから、全体として上手く練れた作品だなぁ〜、とあらためて感心。無駄なシーンがなく(一つだけありました・・元奥さんに出した学生からの現金とハガキのシーン・・この意味がよく解らない)、脚本もよく計算された上で書かれたという印象。冒頭のビッツィーが全力疾走するシーン、そして観る者に強烈な余韻を残すラストのシーン・・上質なドラマの幕開けと終幕にふさわしいものとなっている。

 

私自身はアラン・パーカー監督とは別の考え方を持っていて死刑廃絶論反対派なのだが、冤罪で死刑になることは絶対あってはならないと思う。死刑制度そのものと冤罪で死刑になることは、また別問題ではないか・・というのが唯一疑問に感じた点。冤罪で死刑になる人がいないようにするためには、法制度のありかたや刑事訴訟のありかたが問われるべきであり、死刑制度の問題とはまた一線を画する。しかしながら、死刑制度そのものを考えた場合、死刑制度自体に常に賛成反対の議論が付きまとうのは、そうあるべきだと思っている。本作では、真剣に死刑制度という社会問題と対峙しようとする真摯な姿勢が感じられた(但し、重たく濃い作品なので、比較的体調の良いときにご覧になることをおススメします)。★4.0

長い長い殺人
2007  日本  国内TVドラマ  ドラマ  ミステリー・サスペンス  
作品のイメージ:ドキドキ・ハラハラ
出演:長塚京三、仲村トオル、谷原章介、平山あや

登場人物たちの財布が語り手となり事件の真相を徐々に解き明かしていくという点においては、斬新な作品。ひき逃げ事件で死亡した男には、妻を受取人とした28千万円もの保険金がかけられていた。妻法子には愛人がいて、その愛人である塚田(谷原章介)の婚約者にも保険金が掛けられやがて殺害される。見るからに怪しすぎる塚田と法子は、一躍ワイドショーを賑わすようになる。だが、二つの事件当時、彼らには鉄壁のアリバイがあった・・。

 

ドラマWで、しかもキャストも豪華。しかし、パッとしないにも程がある。まず登場人物が多すぎて、作品全体が散漫になっている感がある。登場人物のつながりが徐々に見え、ある一つの真実へと導かれていくところはなかなか面白いと思ったが、その過程があまりにも長過ぎる(タイトル通り・・ということで)。そして、その分内容も希薄になっている。正統派ミステリーに分類されるのであろうが、語り手が財布であるということ意外には、これといった特徴があげられない凡庸なミステリーに留まっている。これは、原作を映像化することが、難しかったのではないだろうか。宮部みゆきの原作自体は(未読ですが)、それなりの作品なのかもしれない。

 

財布が語り手になっているということで、「お金」に絡んだエピソードが添えられているのだが、事件を追う響刑事(長塚京三)が住宅ローンに困っている事などは、事件捜査の展開とは特に関係がない。すべての登場人物に「お金」に纏わるエピソードを添えるというのであればそれも独創的かもしれないが、必ずしもそうなってはいない。なので、どうも中途半端感がぬぐえないのである。また、近年加熱するマスコミのワイドショーなどへの風刺になっているととれる点もあるのだが、それも尻切れトンボで終わってしまっている。

 

「旧友の財布」の章においては背筋がゾクっとした。が、それが谷原章介の怪演へとつながっていない。確かに、塚田の底知れない不気味さは伝わってくるが、残念ながら怪演とまでは言い難い。長塚京三のベテラン刑事役が渋いのと、仲村トオルの私立探偵役が好い味を出している。妻に死なれて生きる意欲も無くした私立探偵が、事件に関わることにより再び仕事をする意欲を取り戻すといったプロットが、上手い具合に作品に収まっている。登場人物の一人一人が丁寧に描かれているので、群像劇としてのレベルは低くはない。だが、ミステリーとしては・・。特に、ドラマWはどれもクオリティーが高いということと、これだけ豪華なキャストを揃えておきながら・・という点を考えると、やや残念な出来栄えである。

 

また、現実離れしすぎているというか、実際こんなことがあるのかなぁ〜、という疑問も持ってしまった。動機にイマイチ説得力がないのである(ネタバレになるので、これ以上具体的には書かないことにします)。ミステリー故にリアリズムを追及する必要はないが、ストーリーの持って行き方が強引というか突飛なところが、ちょっと気になる。普通のTVドラマとしては及第点であるが、ドラマWであるという期待が大きかっただけに、ちょっとキビシめの評価の★2.3
恋愛上手になるために
2007  アメリカ  洋画  ラブロマンス  コメディ  
作品のイメージ:萌え
出演:ペネロペ・クルス、マーティン・フリーマン、グウィネス・パルトロウ、ダニー・デビート

邦題とは全くイメージが違った作品。原題は、“The Good Night”(「良い眠りを」)。かつては有名な音楽バンドのメンバーだったが今やCMの作曲家に甘んじているミュージシャンのゲリー(マーティン・フリーマン)は、ギャラリーに勤めるドーラ(グウィネス・パルトロウ)と同棲生活を送っていた。しかし、長い年月の生活の中で深刻な倦怠期へと突入。そんな中、ゲリーは夢の中で理想の女性アンナ(ペネロペ・クルス)と出会う。いつもアンナの夢を観たいと願うゲリーは、自分の夢をコントロールする方法を身につけようと思うのだが・・。

 

夢をコントロールする方法を求めて・・というあたりは面白いのだが、その後がダラダラとしてなんとなく終焉といった印象。それに、冒頭の友達のインタヴュー集のようなものも、ラストになって「あぁ、そういうことだったのか」とわかるが、最初はなんだかよくわからない。斬新なアイデアだとは思うが、インタヴューの内容が退屈すぎる。それに、既にみなさんがご指摘の通り、いきなりインタヴューから始まるもんだから、作品の本編がスタートしているんだかどうかわからず、うっかりスルーしてしまうところだった。

 

監督は、グウィネスの実弟のジェイク・パルトロウ。これが、長編映画デビューとなるんだとか。DVDスルーの作品なのだと思っていたけど、なんと日本公開されていた!・・というのは、ちょっと驚き。「人は失って初めて自分のいちばん大切なものに気づくものなのね」という寓話にしてはプロットが雑多な感じがするし、と言ってブラック・ユーモアでもなく、ただただ中途半端。何かを得るでもなく、笑えるでもなく、切なさを感じるでもなく・・。

 

ペネロペは、ゲリーの現実の世界でメロディアとしても一人二役で登場するが、白いスーツを着ているアンナとは対照的に黒い革ジャンを着ている。そしてゲリーは、メロディアにアンナのようなイメージになるように強要するんだけど、メロディアには拒絶されてしまう(当然ですよね・・そんなこと強要されたくない)。それにしても、ペネロペが可愛いいのと、グウィネスのさりげない演技はさすがという感じはするが、誰に感情移入できることもなく、終わってしまう。

 

夢をコントロールする方法なんてあるのなら、本当に教えてほしいくらいだ。「愛してるわ、おやすみ」「ぼくもだよ、おやすみ」と毎晩交わされるゲリーとドーラの会話。そしてゲリーは夢の中へと・・。なので、現実と夢が交錯して混乱することはない(そもそもアンナは夢の中だけの女性で、ほとんど白いスーツ姿で現れるわけだし)。いつも同じ感じの夢ばかりで、同じように目が覚める。何が言いたいのだろう・・?ドーラという大切な存在があってこそ、アンナが夢に出てきたということになるのだろうか・・?サイコな面、ヒューマンな面、ロマンティックな面と多面的過ぎていて、どうもすっきりしない。原題の通り、「眠り」というテーマにもっと絞れば、それなりにまとまった作品になったのかもしれない。内容的には★1.3くらい。だけど、キャスティングが豪華な分オマケの+0.3で、★1.6
ことの終わり
1999  イギリス  アメリカ  洋画  ラブロマンス  ドラマ  
作品のイメージ:切ない
出演:レイフ・ファインズ、ジュリアン・ムーア、スティーブン・レイ、イアン・ハート、ジェイソン・アイザックス

不倫のお話かと思いきや、意外にも宗教が絡んでくる作品であった。1946年のロンドン。モーリス(レイフ・ファインズ)は、旧友のヘンリー(スティーヴン・レイ)から、妻のサラ(ジュリアン・ムーア)が浮気しているのではないかとの相談を受ける。サラとモーリスは戦時中不倫の関係にあり、嫉妬を感じたモーリスはサラの素行調査を探偵に依頼する。二年前、二人の居た建物が爆撃を受け、気絶していたモーリスが目を覚ますと、サラは彼から去って行ったのだった。サラを未だに忘れられないモーリスは、探偵が入手した日記を読んで、意外な真相を知ることになる・・。

 

おそらく私自身が無神論者故に、ヒロインへの感情移入が難しかったのだと思う。しかし、自分が本当に愛する人のために祈り、自分の命をも引き換えにするというサラの美しい心とジュリアン・ムーアの外見的な美しさがマッチして、作品自体から芳しい香りが放たれているような印象を受けた。モーリスについては、別れた女性にこだわり素行調査まで依頼して人の日記を読んじゃうなんて、あまりにも粘着気質なのでは・・。ジュリアン・ムーアと対照的にレイフ・ファインズは最初はミスキャストのような気がしたが、全篇を通して観た後は案外(?)合っているという感じも。

 

ある奇跡が起こることによって、突然信仰心というのは生まれるものなのだろうか・・?キリスト教の教えであるところの、自分を捧げるかわりに愛する人を救う「自己犠牲」の精神が、モーリスへの愛によって生まれたのか、あるいは奇跡によって生まれたのか・・?いずれにしても、純愛から生まれた信仰心ということになるのだろうが、この純愛と前半の官能的すぎる(というか露骨な)性描写シーンとがバランスがとれていないような。前半の部分をもう少し抑え気味にして、表情や目の動きなどから二人の愛を表現して欲しかった。

 

他の作品のレビューでも書いている通り、男女の愛を考えた場合、男性は別れた女性のことをいつまでも忘れられないというかこだわってしまうけど、女性の場合はあることがきっかけで別の方向に転換できるものなんだなぁ〜、なんていつも通りの感想を持ってしまった。最近観た邦画の「失楽園」にも言えることだが、結婚できない男女の愛の終わりは、ある一つの「昇華」でしかないと思う。「失楽園」の場合は衝撃的なかたちでの心中、そして本作では女性側の宗教心の目覚めということになるのだろうか。

 

家族愛と恋愛は違う。ヘンリーはサラを家族として愛し、モーリスはサラを女性として愛した。だから、三人で暮らすという奇妙な関係が成立してしまったのであろう。そう考えると、サラは二人の男性から別のかたちで愛されて、恵まれた女性と言えるのかも。それは、彼女なりの信念を貫いたからであり、彼女なりの信仰心を持ち続けたからであり、彼女の愛が単なる不倫で終わっていないからではないか。


このドラマが他の恋愛ドラマと一味違っているのは、モーリスとサラの両方からの視点で描かれていることと、現在と過去が交錯するかたちで描かれていることで、恋愛ドラマに加えてミステリーの要素も加えられているところ。原作の名作小説「情事の終わり」をニール・ジョーダン監督なりに優美かつ上品に映画化している本作は、恋の衝動を止めることのできない二人の切なさが心に沁みわたるような作品に仕上がっている。★3.4

マンマ・ミーア!
2008  アメリカ  洋画  演劇・ミュージカル  コメディ  
作品のイメージ:笑える、癒される、スゴイ
出演:メリル・ストリープ、アマンダ・セイフライド、ピアース・ブロスナン、コリン・ファース

ABBAのヒット・ナンバーのジュークボックス・コメディで、同名ミュージカルを映画化した作品。ギリシャの小島でシングルマザーのドナ(メリル・ストリープ)に育てられたソフィ(アマンダ・セイフリード)は、まだ見ぬ父親とバージンロードを歩くことを夢見ていた。結婚式を控え、父親探しをすることに決めたソフィ。彼女は、ドナには内緒で、父親の可能性のある母親の昔の恋人三人に結婚式の招待状を出す。そして、ソフィの父親は・・。

 

60歳近いとは思えないメリル・ストリープの歌いっぷり、踊りっぷりがノリノリで、スゴイ。メリルは10代のときオペラ歌手を志していたらしく、歌唱力は相当のもの。舞台は観ていないので比較ができないが、映画ではギリシャの映像美を堪能できるところが良い。残念だったのは、私の好きな曲である“Knowing Me, Knowing You””That’s Me”が入っていないことと、ピアース・ブロスナンの歌唱力がイマイチなこと。ストーリーについては、あってないようなものなので、とにかく歌と踊りを楽しめればそれでOKといった感じ。

 

主人公は最初はソフィかと思いきや、実は母親のドナということが後半になってわかる。まず、ABBAの曲を使っているという時点で、観客のターゲットはある程度の年齢層を設定しているのだろう。だけど、ABBAの曲を知らない人でも充分に楽しめるし、オジサンやオバサンがノリノリで歌って踊るシーンなんかは、若い人が観ても楽しい気分になれるのではないだろうか。しかし、突然歌いだしたりするミュージカルが苦手な人には、ちょっとキビシイ作品かもしれない。何せ、歌と踊りがメインなので。

 

音楽の素晴らしさを除くと、映画史に残るミュージカルとまでは言い難い。「ドリームガールズ」などと比較した場合、衣装もそれほど見栄えはしないし、振り付けもシンプル過ぎる。別の言い方をすれば、素朴な演出により音楽を引き立たせ、そしてエーゲ海の風景とマッチするような無邪気な作風に仕立てているのかもしれない。確かに、この音楽でこの風景で衣装や振り付けに凝り過ぎると、逆にそっちの方が浮いてしまうであろう。

 

また、「オペラ座の怪人」などと比べてみると、そこまで感動する作品でもない。勢いとノリで最後まで突っ走ってしまっているだけ。母と娘の心の機微に途中ジーンとくる場面もあるが、感動して涙するまでには至らない。また、予告編から想像できる範囲内に留まっているので、厳しい言い方をすれば「ABBAのミュージック・クリップ」に美しい風景というオマケが付いているような作品とも言えなくはない。しかし、ABBAのナンバーと同様に老若男女に幅広く受け入れられ、誰でも軽く楽しめる作品なので、重たい作品を観た後で頭のリセットをするのには良いかもしれない。★3.2

 

なお、ABBAをご存じない若い世代の方のために、以下ご参考に供します:

数多くの世界的なヒット曲を連発したことで知られるスウェーデンのポップ・ミュージシャン男女四人のグループ。 1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍した。グループ名の由来は、メンバー四人の頭文字を取ったもの。

 

また、「マンマ・ミーア!」のミュージカルについては:

ロンドンでの初演を皮切りに、世界各地でロングラン公演を続けている。日本では劇団四季が四季版「マンマ・ミーア!」を上演していたが、2009年2月に千秋楽を迎えた。

出口のない海
2006  日本  邦画  ドラマ  戦争  
作品のイメージ:泣ける、切ない
出演:市川海老蔵、伊勢谷友介、上野樹里、塩谷瞬
 

横山秀夫原作ということで鑑賞したが、「半落ち」「クライマーズ・ハイ」「ルパンの消息」「震度0と作風がまるっきり違った作品。「静かな戦争映画」といった印象。時代は太平洋戦争末期、海の特攻兵器と呼ばれた人間魚雷「回天」に乗って敵艦に激突するという極秘任務を志願した青年たちの姿が、切なく等身大に描かれている。甲子園の優勝投手であった並木浩二(市川海老蔵)も、その中の一人。並木は、野球に熱中していた頃や、戦争に行くと決めた日々を思い出しながら、艦長の出撃命令を待っていた・・。

 

回天の操縦方法の学習する青年たちの姿、潜水艦内の熱さや空気の薄さに耐え忍ぶ姿や自分が出撃する前に仲間が出撃していくのを目の当たりにする姿が、生々しくリアルに描出されている。操縦方法が結構難しいこと、出撃しても海底に激突して失敗に終わることもあること、また回天が故障しやすいものであることまで、丁寧に説明されている。

 

艦長(香川照之)が敵船を見つけ発進させるシーン、爆発音を聞いた時に整備員たちが目をつぶって合掌するシーンでは、涙が溢れた。後半はこのように心に迫るシーンが多かったのだが、前半はやや冗長な感じが。リアリズムにこだわりすぎたのかもしれない。主人公の行く末(ネタバレ自粛のため書けませんが)も、本当にあった話がベースになっているのだとか。

 

夢を追い続けた青年たちは、なぜ二度と戻れぬ作戦に身を投じたのか・・。愛する人を守れると信じ、お国のためと信じ、人間魚雷なるものが存在したことを自らの命で後世に伝えようとした青年たち。派手に「反戦」を掲げた作品ではないが、静かな流れに、自ら志願して散って行った青年たちの姿を通じて戦争の悲惨さが物語られているような気がする。

 

生きて帰れば卑怯者と蔑まれ、お国のために散って行くことが立派とされたこの時代・・死への恐怖と死ねないことへの恥辱の間で葛藤する並木という青年を描いている点では、組織の中で葛藤する人間の姿を描いた横山秀夫の他の作品と共通する部分がある。個人と「国家という組織」の間で揺れる一人の人間の心が、しっかりと見えるのである。並木が父親に「国家とはなんですか?」「敵とは誰ですか?」と尋ねるシーンがある。

 

当たり前の話だが、戦争とは国と国との戦いである。戦争の相手国の個人個人にも家族があり、戦争がもたらす悲しみはどの国の個人にとっても一緒のはずである。個人で考えた場合、「戦争はよくない」ということになっても、国と国になった場合なぜ争いは起きてしまうのだろうか?個人としては、皆が幸せに生きることを祈っていても、国という組織になった場合「お国のために死ぬ」ことを尊いとし、死ぬことを運命づけられる青年たちが実際存在したわけだ。脱出不能の海底の人間魚雷に閉じ込められる恐怖に晒された青年たち・・その不条理さに、控え目なトーンではあるが観る者にこくこくと迫ってくるような感じで、圧倒された。エンドロールに流れる竹内まりやが歌う主題歌「返信」自体は良い曲なのだが、作品のイメージに合っていないような。原作者横山秀夫の観客へのせっかくの問いかけが、このエンドロールの曲によって掻き消されたような印象を受けた。★3.4

ブレイカウェイ
2000  デンマーク  洋画  アクション  
作品のイメージ:笑える、ほのぼの
出演:イーべン・ヤイレ、ソーレン・ピルマーク、ウーリック・トムセン、マッツ・ミケルセン

マッツ・ミケルセン目当てでレンタルした作品。40歳の誕生日を迎えた冴えないギャングのトーキッド(ソーレン・ピルマーク)は、子供の頃からの腐れ縁であるアーニー(マッツ・ミケルセン)、ステファン(ニコライ・リー・カース)やピーター(ウーリック・トムセン)と共に、四億円もの大金強奪を画策する。アーニーはガン・マニア、ステファンは大食漢でおっとり者、ピーターは負傷していてヤク中という面々。それに、酔っ払いの医者カールや、猟オタクのアルフレッド、ステファンの彼女など、個性的な脇役が絶妙に絡んでくる。子供の頃のトラウマを抱えた四人は、不条理な人生が抜け出して、新しい人生を切り開きたいと願っていた。強奪の計画は一応成功するも、バルセロナに向かう途中の国境付近で車が故障。とりあえず、廃墟となったレストランに身を隠すことに。バルセロナに行くはずだった四人に、思いもよらない人生が待っていた・・。

 

主人公の四人はギャングということで銃撃戦もあり、ジャケットからはハードボイルドなドラマを連想させられるが、本作はコメディタッチのヒューマンドラマ。四人とも、自分の本当に求めていたものが心安らげる生活と友情であったことに気付き、ほのぼのとしたハッピー・エンドを迎えるというもの。最初はバルセロナ行きを止めるトーキッドに反対していた三人だったが、徐々にみんなでトーキッドの思いを実現させようと心に一つにしていくところが、心温まる。アナス・トーマス・イェンセン監督の作品と言えば、「フレッシュ・デリ」もそうだが、途中はいろいろあっても結局ほのぼのと終わってしまう・・というところがミソ。

 

画面は少し暗めだが、デンマークのドグマ作風からは懸け離れている。全体としては地味だが、面白いシーンがたくさん隠されている(卵を吹くシーンは笑えます)。そんなシーンを観ていると、だんだん主人公の四人に愛着が沸いてきてしまうから不思議。英題の“Flickering Lights”とは「瞬く光」という意味で、新しいレストランの名前(なかなか良い名前のレストランですね)であり、この四人の行く末を暗示しているような。但し、残念なのが、主人公が四人いるわけなので、それぞれのトラウマについての描写がやはり四つに分散されてしまい、やや散漫になってしまっている点。

 

(以下は、マッツ・ファンとしての感想になっています。)今回のこのマッツの髪型(ワンレン)が不評のようだが、個人的にはこの髪型のマッツもなかなか良いではないだろうか、と思う。それに、タンクトップ姿のマッツは、肉体美が強調されて相変わらずステキ。マッツを含めた三人が海岸で裸体ではしゃぐシーンがあるが、これはまさにお宝映像。役柄は、ちょっと凶暴で短気でキレやすいギャングなんだけど、ときおり見せてくれる笑顔にマッツの人柄の良さがにじみ出ている。

 

本作は、マッツが幅広くいろんな役をこなせるという実力を証明し、デンマーク映画界において頭角を現す作品となったとも言えるのでは。007 カジノ・ロワイヤル」「アフター・ウェディング」はもちろんのこと、「フレッシュ・デリ」「しあわせな孤独」よりも前の作品なので、マッツが完全主役を張っているわけではないが、存在感はたっぷり。一つ気になったのは、タバコをくわえながら料理をしていて、タバコの灰が料理の中に入るんじゃないかと、ハラハラ(そう言えば、マッツはもともとへヴィー・スモーカーなんですよね)。私は、へヴィー・スモーカーや胸毛のある人はNGなんだけど、マッツならば許せる(なんか作品とは関係ない話題になってしまいました)。なお、本作は、現在廃盤になっているとのこと・・DVDレンタルできて、本当によかった。★3.2

モール・フランダース 偽りと欲望の航海
1996  イギリス  海外TVドラマ  
作品のイメージ:カッコいい、おしゃれ、スゴイ
出演:アレックス・キングストン、ダニエル・クレイグ、ダイアナ・リグ、ジェームズ・フリート

ダニエル・デフォーの名作を映像化した文芸ドラマ。18世紀のイギリス、市民の貧富の差がますます広がる混乱の時代。獄中で生まれたモール・フランダース(アレックス・キングストン)は、美貌と度胸を武器に、次々と現れる男性の財産を手にして行った。人生の荒波を乗り越えていくモールだったが、初めて心から愛する男ジェイムズ(ダニエル・クレイグ)と出会う。しかし、幸せな時間も束の間、二人は別々の人生を歩むことに・・。激動の時代を生き、最後まで愛し合う二人の運命やいかに・・。

 

四話が収録されているが、ダニエル・クレイグは後半になってようやくご登場(なので、ダニエル目当ての方は後半に乞うご期待!)。せっかく四話に分かれているので一日一話ずつ鑑賞しようと思っていたところ、ストーリーのテンポがすごく速く、どんどんのめり込むように一気に観てしまった。この時代の結婚とは、女性はどれだけお金を持っているかで価値が決まってしまうといった制度。この制度こそが、市民に貧富の差をつくった原因だったように思う。「愛人にはいちばん好きな女性を選ぶが、結婚相手としてはリッチな方がよい」というようなセリフがあるんだけど、お金目当ての結婚ってなんだかなぁ〜というのが正直な感想。

 

そんな状況でもめげないのがモール・フランダース。まずはお金持ちのふりをして男性に近づき、色気と機知で相手を魅了させ自分にメロメロにさせてから結婚をせまる・・これだけ聞くとイヤな女性のように思えるが、作品を観る限りなぜだか応援したくなるような女性。でも、後半は自分の良心のかけらすらなくなってきて、心が麻痺していく様子が、観ていて痛々しい。このまま天涯孤独で絞首刑になるのかと思いきや、ラストは・・。でも、天性魔性の彼女が一人の男性とずっと最後まで幸せに暮らせたのかしら・・なんて皮肉な観方をしてしまう私ってひねくれているのかも。それに、ラストに限らず、ストーリー全体が、ちょっと出来過ぎているような気も。

 

ストーリーに勢いがあり面白いのだが、深い作品ではない。「何かを得る」としたら、勇気づけられるということくらい。どんな境遇でも諦めず自分の切り札で勝負していく強い女性像を見せられたようで、元気をもらった。境遇は全然違うが、「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラを思わせるものがある。自分の運命を呪うこともなく、踏まれても踏まれても「なんとか生きていく」雑草のようなモール・・ある意味、自分の思うままに人生を駆け抜けたという感じもする。

 

「ロビンソン・クルーソー」の原作者と同じとは思えないほど、お色気シーンが満載なので、お子さんと一緒に観ない方が無難。そういう意味では、大人の女性のための夢物語といったところだろうか。もう少し深く掘り下げて、モールの苦悩とそれを跳ね返す強い意志を浮き彫りにするような描き方をすれば、「風と共に去りぬ」のような格調高い文芸ロマンになったのではないかと思われる。時折、モールがカメラ目線で「こんな状況で、あなたならどうします?」と語りかけてくるのが、変わっていて観客を惹き付ける。原題は、“The Fortunes and Misfortunes of Moll Flanders”(モール・フランダースの幸運と不運)で、副題が「燃ゆる運命の炎」となっているのもあるよう。原作は1996年にアメリカでも映画化されているので(ロビン・ライト/モーガン・フリーマン主演「モル・フランダース」)、いずれそちらの作品とも見比べてみたい。★3.3

コアラ課長
2005  日本  邦画  コメディ  ミステリー・サスペンス  
出演:野村宏伸、エリローズ、イ・ホ、黒田アーサー

まず結論から言うと、本作の評価は★0.2(観る前から、こんな評価になることは予想していました)。というのも、ある方のブログに「人生最悪の映画」というフォルダがあって、その中の一つだったわけで・・(マニア受けするものなのか、どんなものなのか、怖いもの観たさでレンタルしたものの、凡人の私はやはりこれ以上の評価は付け難いです)。漬物会社の敏腕課長の田村は、なんとコアラだった。で、なぜか社長がウサギで、コンビニ店員がカエル(もうこの段階でついて行けず)。韓国のキムチ業者との契約を控え仕事も順調だった田村に、悲劇が起こる。恋人の洋子が惨殺されたのだ。刑事の小野(野村宏伸 は田村の前妻の由加梨が6年前に謎の失踪を遂げていることを知り、田村を容疑者としてマークする。田村は由加梨の失踪前後の記憶を失っていて、精神科医の野中(黒田アーサー)のカウンセリングを受けている。果たして、彼は猟奇的連続殺人コアラなのか・・?

 

ビジネスの話で始まったはずなのに、いきなりサイコ・ホラーになり、誰もが予想しない法廷ミュージカルへと発展。刑務所ドラマ、脱獄、格闘技アクションあり、そしてラストは驚愕のクライマックスが待っている。「それにしても、韓国古武術蘇生術っていったい何よ?」とか思いながらも、「彼はシロでもクロでもないグレーだ。コアラなだけにな」という刑事のセリフにも背筋に寒さを覚えながらも、「なんじゃこりゃ」とほとんど呆れながらも最後まで観てしまった。一言で言えば、「意味不明」な作品。そう言えば、「100年前のコアラ大量虐殺」というのも、訳がわからない。映像が安っぽい、出演者の演技も見ていられない、シーンも全部ぶつ切れになっている、登場するコアラ課長がパッケージのコアラと全然違う・・とか、まぁそんな細かいことまで気にならないほど、最初からトンデモな作品なわけだけど。そう言えば、「しょこたん」こと中川翔子も一瞬出演するんだけど、みんなが最初から思っているツッコミをKYな感じでしてしまって、「それを言っちゃあ、おしまいよ」とトホホ・・な感じ。

 

では、本作を観て、笑えるかどうか・・?個人的には、全く笑えないどころか、あまりのくだらなさいにムカついてしまった。この監督は「いかレスラー」「兜王ビートル」を制作したことで有名らしいが、はっきり言って他の二つも観る気が失せてしまった。観る順番を間違えたのか・・?自分にはユーモアを解するセンスが欠如しているのか・・?いや、やはり「人生最悪の映画」と評されていた方がいるくらいだから、そんなに自分のセンスは、人と比べて偏っているとも思えない・・ということにしておこう(当然、おススメはできません)。しかし、こんな作品でも淡々と演技する役者さんたち・・かなり気の毒に思えてしかたがない。前妻の由加梨の名前ってユーカリから来ているのかしら・・これも笑えない。

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