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実在の人物クリス・マッカンドレスの旅を追ったジョン・クラカワーのベストセラーの同名ノンフィクション小説(「荒野へ」)を、ショーン・ペンが映画化した作品。アトランタの大学を優秀な成績で卒業した22歳のクリス(エミール・ハーシュ)は、恵まれた境遇にありながらも繊細な感受性ゆえに満たされずにいた。突然すべてを捨て、ヒッチハイクでアメリカを縦断しながら様々な人々と出会い、文明に毒されることなく自由に生きようとするクリス。彼が最終的に目指したのは、アラスカの荒野だった・・。
(みなさんが高評価を付けているにもかかわらず、この評価(★2.7)を付けるのは非常に気後れするのですが、)全体的にインパクトに欠けているように感じ、途中何度か眠りに落ちてしまった。「何の力も借りず、土地の物だけを食べて生きる」と言っているわりには、銃を使ったり、植物図鑑に頼ったり、ヒッチハイクで車に乗せてもらったりと、部分的には物質主義社会に頼っているというところに矛盾があるような。全く文明社会に頼らずに生きて行くという決意は立派だと思うが、全く独りで経験もないままに「荒野に出て行く」のは無理があるように感じられた。また、彼のことを心配する家族の身になって考えた場合、独り善がりな旅としか言いようがない。
とは言え、クリスの心の軌跡が、鮮やかにそして純粋に観てとれる。誰もが若い頃に抱く一過性の熱のような文明社会への反骨精神、大人の世界の嘘や偽りへの嫌悪感、そして自分自身の力を試してみたいと思う自立心みたいなものが一緒になって、彼を荒野へと駆り立てたのだろう。しかし、生きて行くこと自体、そう甘くはない。生の厳しさを、彼はたった独りで思い知ることになる。若さ故の無謀さから突っ走り、そして朽ち果てて行く・・目的を果たす前に、思わぬものが原因でその夢を絶たれることになり、自然というものの大きさを改めて認識させられるのだ。
観ているだけで凍てつくような極寒の地であるアラスカの広大な自然の風景が、素晴らしい。映像がCGに頼っていないのも、作品の内容にマッチしている。パール・ジャムのエディ・ヴェダーによる音楽も、絶品。クリスの心の世界を、立体的に演出している。青春の甘酸っぱさに浸るには、かなり出来過ぎた舞台設定ではある。しかし、人生経験が既に豊富な人は、やはり未熟さを感じてしまい、そのまま感情移入することは難しいのだ。自分の能力を過信しがちな年頃の10−20代の若者が鑑賞するのと、30代以降のある程度人生の酸い甘いをかみ分けた大人が鑑賞するのとでは、感じ方にギャップが出て当然であろう。後者の立場である自分自身は、どうしても親の立場に立って考えてしまった。子供が突然失踪し、音信不通になり、そして・・であったら・・。
クリスが自然の中で見つけたものが、書籍の中にある「人生における唯一の確かな幸福は他人のために生きること」であるのなら、かなり皮肉な結末と言えよう。しかし、このことが身にしみてわかるのには、この過酷な経験があってこそ・・ということになるのだろう。エミール・ハーシュの体当たりの熱演は、見物かもしれない。ラストに近づくにつれ、相当減量して頑張ったということが、よくわかる。また、クリステン・スチュワートは、「ランド・オブ・ウーマン/優しい雨の降る街で」からかなり大人になったという印象。原作を読んでから観ると、また違った感想が書けるのかもしれない。しかし、本作特有の青臭さは、それでもやはり感じてしまうであろう。
現代のギリシャ悲劇といった感じの作品。それも、悲劇の全容が時系列に明かされるのではなく、時間軸をバラバラにした展開により、何があったのかが少しずつ詳らかにされていく。ニューヨーク郊外にある小さな宝石店に強盗が押し入るところから、物語はスタートする。女性店員が強盗を撃つが、彼女もまた銃弾を浴びる。強盗の共犯者であるハンク(イーサン・ホーク)は、慌てて車で逃げる。ハンクは、娘の養育費もまともに払えないほどにお金に困っていたのだ。ハンクに強盗を勧めたのは、ハンクの兄であるアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)。アンディも、ある理由からお金を工面する必要があった・・。
原題は、“Before
the Devil Knows You’re Dead”(悪魔があなたの死を知る前に)。「悪魔に死を悟られる前に地獄から逃げろ」という意味なのだろうか。邦題も、悪くはない。この物語の全てのきっかけとタイミングを指し示している(つまりは、時間軸の中心)。二人の計画は、確かに浅はかである。しかし、二人がそんな稚拙な計画を実行するまでに追い詰められていた状況にあったことが、次から次へと明らかになっていく。まずはお金の問題、兄弟それぞれの家族との関係(ハンクについては離婚していますが)、そして兄弟が小さかった頃の両親との確執・・などなど。
時間軸がバラバラになった逆伏線的なリバース編集のされ方がなされているが、一つ一つのシーンに登場人物の心理描写や背景が克明かつ丁寧に描かれている。映像は何度も時間を前後させ、複数カメラで同じシーンが別角度で撮影されているので、見やすく分かりやすい。そしてすべては語られないが、観客に登場人物の過去を想像させるような手法も使われている。たとえば、兄弟の父親がとる行動からも、父親がどんな人生を歩んできたのかが窺い知ることができる。また、最初のお色気たっぷりのシーンにも、重要な意味が隠されている。作品の最後の最後まで観てかつ一つ一つのシーンの意味を理解した上で、観客は悲劇の全容を知ることになる。さすがは、今まで次々と話題作を生み出してきたシドニー・ルメット監督。83歳のときに撮った本作も、これまでの作品にひけをとらないくらいの出来栄えである。
キャスティングも、見事にはまっている。名監督の周りに名俳優が集まってきたという感じ。フィリップ・シーモア・ホフマンとイーサン・ホークという全く違ったタイプの俳優の掛け合いも、見物。それぞれの熱演が結集され、人間の心の闇とどんどん深みにはまっていきもがき苦しむ人間の姿が、観客の目に哀しいほどに空しく映る。名優たちの名演技に加え、よく練られた脚本も本作を良作へと導いている大切な要因である。人間の弱さ、傲慢さ、壊れやすい家族関係、過去の呪縛、と負の連鎖を言葉少なだがほぼ完璧に語っているのである。但し、あまりにも完全に、時にはくどいぐらいに語りすぎているので、人間の醜い部分がこれでもかこれでもかと描かれている作品は苦手だという方(また登場人物のどうしようもなさに、観ていてイライラするという方)にはおススメできない。人間お金に困るととことん堕ちるところまで堕ちて行くものなのか・・と悲観的になるのも事実。しかし、映画としての完成度はかなり高いと思う。★4.0
エロスに分類されているが、官能ドラマではなくどちらかというと純愛物語(ファミリーで楽しく観れるという作品ではありませんが)。大学で教鞭をとるミッコは、ミッコのクラスで勉強する美しく聡明なサリ(クリスタ・コソネン)と、授業中に視線が合うことが多かった。二人きりで会話を交わすことがあまりないまま、お互いは意識し合う存在となっていた。ミッコは夫婦仲が悪い状態だったが、娘のロッタもいることだし、なんとか妻との関係を修復しようとしていた。そんな矢先妻に新しい恋人ができたことがわかり、ミッコは家を出る。ミッコがホテル暮らしをしていることを知ったサリは、ミッコにルームシェアをしないかと持ちかける。というのも、サリはてんかんを患っており、てんかん発作が起こった場合を考えて、一人で生活することを両親から止められていたという理由もある。二人で生活することになったミッコとサリ。気持ちだけではなく、身体的にも結ばれる二人だったが・・。
北欧の習慣とかもあるのかもしれないが、理解に苦しむ点が幾つかあった。まず、/靴靴の人ができて離婚を希望しているのはミッコの奥さんの方なのに、なぜミッコが家を出て行かないといけないのか。親権だって、ミッコの方にあるだろうに。⇔ズ届まで提出したかどうかはわからないが、事実上離婚しているのに、離婚した夫婦の親戚がクリスマス・パーティーで集まったりするものなのか(気まずい空気になるのも当然のような気が)。しかも、奥さんの新しい恋人まで出席していたし。てんかん発作が起きるかどうかのチェックのために、本命の人と一夜を共にする前に、別のボーイフレンドと一夜を共にしてみて様子を見るというのは、いかがものか(単なる実験台にされているようで、相手の人(そのボーイフレンド)がかわいそう)。
ミッコとサリ・・このまま二人の関係がうまく行ってほしいような気もするが、娘のロッタの存在、ミッコの親戚のことを考えると、前途多難なよう・・と悲観的にならざるを得ない。まず、まだ15歳なのに、言うことだけは一人前のロッタ。両親が離婚という不遇な中で精神的に不安定になっているかもしれないが、見た目も性格もアレな彼女が美しいサリの存在を簡単に受け入れるとも思えない。しかも、ミッコは娘のことがかわいいみたいだし。それに、サリがミッコに「私もクリスマス・パーティーに連れて行って」というリクエストをするんだけど、ミッコは返事をしなかった。つまり、ミッコにとってサリは美しい女性であり教え子であり、家族とはまた別の存在なわけである。なので、二人が結婚に漕ぎ付けるとは、ちょっと考えにくい。サリにとっては、師でありルームメイトとの青春の一コマということになりそうな。だけど、ミッコにとっては、サリは忘れられない永遠の女性になる・・なんていうありがちな構図が見えてきそうだ。
クリスタ・コソネンの透き通るような美しさが、印象に残った。一方、ミッコ役の俳優さんの肉体美も見逃せない(体を鍛えているシーンも出てきましたね)。作品的には★2.5くらいなんだけど、ヘルシンキの風景や、大学内のモニュメントの美しさ、それからサリがプールで泳ぐシーンの映像美が堪能できたので+0.3の、★2.8。(作品のイメージとして、甘美な切なさという意味で「切ない」と、お色気たっぷりのシーンが一箇所だけ(ミッコとサリが結ばれるシーン)あるので「萌え」と、しておきます。)
身寄りのなかった三姉妹の愛と成長を描いた珠玉のハートフル・ストーリー。1930年代のロンドン。世界を飛び回る化石研究家のガムおじさん(リチャード・グリフィス)は、孤児になってしまった赤ちゃんを連れてきては旅に出るという生活を繰り返していた。ガムおじさんの姪のシルヴィアは、血の繋がっていない三人の孤児たちを、母親代わりとなって育てる。自分たちを「フォシル(化石)姉妹」と呼ぶ三人・・長女のポーリン(エマ・ワトソン)の夢は女優になること、次女のペトロヴァの夢は飛行機に乗って大空を飛ぶこと、三女のポージーの夢はバレリーナになること。しかし、生活が厳しく、彼女らを学校にも行かせられなくなった時、あるバレエ学校を紹介される。初めての世界に投げ出された三人は、戸惑いながらもやりたいことを見つけ出し、それぞれが成長していく・・。
BBCで放送されたTV映画なので、85分と短尺。タイトルが「バレエ・シューズ」なのでバレリーナのお話かと思いきや、そうでもなく孤児であった三姉妹の物語だった。冒頭の音楽は、ハリポタの音楽とそっくり(意図的にそうしたんでしょうね)。英国児童作家の方が1936年に出版した小説を映画化したということなので、「かわいい」「ほのぼの」といった作品のイメージ。ハリポタのイメージが付き纏うエマ・ワトソンだが、その美しさをまざまざと見せつけられたような感じ(三人の中で、一人だけきらきら輝いています)。でも、ハリポタ以外の作品に初めて出演することにかなり神経質になり、役を断る寸前だったのだとか(そう言えば、リチャード・グリフィスもハリポタに出演してたんでしたっけ)。シルヴィア役のエミリア・フォックスのしっとりした美しさも、見逃せない。シルヴィアの秘めた想いを、抑え気味だが時には情熱溢れるタッチで演じている。彼女の恋は・・。
ポーリンは簡単に女優になり、ペトロヴァは帰国したガムおじさんと一緒に飛行機に乗り、ポージーもチェコにあるバレエ芸術院へ留学・・と都合よく話は進むので、ちょっと出来過ぎかな・・というのが正直な感想。どうしても舞台の上では自信が持てなかったペトロヴァが、結局フォシル姉妹の名を世に知らしめるという三人の希望の星になるところは、確かに心温まる。特に得るものは何もないけど、重たい作品でもないし、エマ・ワトソンの可愛さを堪能できるし、三人の女の子の衣装もかわいらしく、軽い気持ちでなんとなく楽しめる作品。それから、当時のロンドンの様子も伺い知ることができる。疲れた時に、ソファに横になりながらボーっと鑑賞するには持って来い(また、ファミリーでも安心して一緒に楽しめます)。
エマ・ワトソンの起用、そして冒頭の音楽の使い方からして、ハリポタを好んで観る人たちをターゲットにしたのがよくわかる。そういう意味では、マーケティングは間違っていないし、お堅い英国でTV放映するにはもってこいの無難な作品と言えるだろう。但し、タイトルの付け方が、ダンスの好きな人たちをも巻き込んでしまう可能性があるし、ジャケットからエマ・ワトソンがバレリーナを目指して奮闘するお話かと誤解してしまう可能性も。エマ・ワトソンを全面に出して売るとしても、ジャケットも一貫してハリポタのイメージにし、タイトルももっと違うものにした方がよかったのかも(ジャケットは、英国と日本とでは違うんでしょうけどね)。★2.8
評価:
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作品全体の構成があまり練られておらず、シーンが時代を超えて飛び過ぎて分かりづらい展開になっている作品。ロシア革命の機に亡命した天才音楽家セルゲイ・ラフマニノフは、演奏旅行で全米を回り各地で成功を収めるが、その心は切なさでいっぱいだった。若くしてピアノと作曲の才能を開花させた彼は、望郷の念と多忙さから作曲に集中できずに苦しんでいたのだった。そんなある日、郷愁を誘う白いライラックの花束が届く。故郷に咲き乱れるその花の香りをかいだラフマニノフに、切なくも情熱的な愛の日々が甦る。募る想いを込めて交響曲を捧げた年上のアンナ。そして、革命に燃える瞳に心を奪われたマリアンナ。いったい贈り主は誰なのか?愛の記憶に導かれるように、ラフマニノフに新たな旋律が生まれようとしていた・・。
原題は、“Lilacs”(ライラック)。ラフマニノフのオマージュというよりも、彼の愛と苦悩の物語といった感じ。なので、かなり偏った感じで描かれているという印象。世界で最も美しく最も引きこなすのが困難な名曲を生み出す作曲家であると同時に、その曲を超絶的な技巧を持つ「魔法の手」で完璧に演奏できるピアニストという側面があまり描かれておらず、普通の音楽家の愛と苦悩の物語になってしまっている。天才音楽家の天才的な部分がストーリーから欠落していて、「アマデウス」のような感動が得られないのである。裕福な生家の没落、恩師との決別、初めての交響曲の失敗、作曲家生命の危機、ロシア革命と亡命、アメリカでの第二の人生・・などなど彼の人生の転機となる要素は一応はなぞられているものの、あまり深みが感じられないのは何故だろうか。
本作はロシア映画でありロシアが誇る天才音楽家の伝記であるのだから、もっとオマージュ的なものを期待していた。「鍵盤の魔術師」とまで言われたラフマニノフの超絶テクニックが観衆を圧倒するシーンが、もっと欲しかった。ピアノ協奏曲2番、3番などの有名な曲をふんだんに使った芸術性の高いドラマを期待していたのに、単なるラブ・ストーリーになってしまっているのは、かなり残念。また、年代順のストーリー展開になっておらず、カットバックの多い複雑な構成となっている。そのため、ラフマニノフの従妹であり後に妻になるナターシャの存在が、最初は従妹なのか妻なのかよくわからない・・などといった難点が挙げられる(予備知識なしで観たもので)。映像は、そこそこ美しい。しかし、全体の芸術性を考えると・・。
ラフマニノフを陰で支え続けたナターシャ・・「愛の物語」と呼ぶのであれば、主役はラフマニノフではなくナターシャであるような気もする。なので、視点をラフマニノフに置くべきなのかナターシャに置くべきなのか、観客は戸惑ってしまう。原題が「ラフマニノフ」となっていないので仕方がないのかもしれないが、しっかりした時代背景からラフマニノフ自体の肖像が立体的に浮かび上がるような仕上がりにして欲しかった。時間が96分と比較的尺が短いことから(もしかして予算の問題?)、短い時間にいろんな要素を詰め込み過ぎて、失敗作になってしまったという印象(扱った題材がすばらしいだけに、惜しいです)。★2.0
邦題とは全くイメージが違った作品。原題は、“The Good Night”(「良い眠りを」)。かつては有名な音楽バンドのメンバーだったが今やCMの作曲家に甘んじているミュージシャンのゲリー(マーティン・フリーマン)は、ギャラリーに勤めるドーラ(グウィネス・パルトロウ)と同棲生活を送っていた。しかし、長い年月の生活の中で深刻な倦怠期へと突入。そんな中、ゲリーは夢の中で理想の女性アンナ(ペネロペ・クルス)と出会う。いつもアンナの夢を観たいと願うゲリーは、自分の夢をコントロールする方法を身につけようと思うのだが・・。
夢をコントロールする方法を求めて・・というあたりは面白いのだが、その後がダラダラとしてなんとなく終焉といった印象。それに、冒頭の友達のインタヴュー集のようなものも、ラストになって「あぁ、そういうことだったのか」とわかるが、最初はなんだかよくわからない。斬新なアイデアだとは思うが、インタヴューの内容が退屈すぎる。それに、既にみなさんがご指摘の通り、いきなりインタヴューから始まるもんだから、作品の本編がスタートしているんだかどうかわからず、うっかりスルーしてしまうところだった。
監督は、グウィネスの実弟のジェイク・パルトロウ。これが、長編映画デビューとなるんだとか。DVDスルーの作品なのだと思っていたけど、なんと日本公開されていた!・・というのは、ちょっと驚き。「人は失って初めて自分のいちばん大切なものに気づくものなのね」という寓話にしてはプロットが雑多な感じがするし、と言ってブラック・ユーモアでもなく、ただただ中途半端。何かを得るでもなく、笑えるでもなく、切なさを感じるでもなく・・。
ペネロペは、ゲリーの現実の世界でメロディアとしても一人二役で登場するが、白いスーツを着ているアンナとは対照的に黒い革ジャンを着ている。そしてゲリーは、メロディアにアンナのようなイメージになるように強要するんだけど、メロディアには拒絶されてしまう(当然ですよね・・そんなこと強要されたくない)。それにしても、ペネロペが可愛いいのと、グウィネスのさりげない演技はさすがという感じはするが、誰に感情移入できることもなく、終わってしまう。
イメージとしては、「笑える」プラス「ドキドキ・ハラハラする」作品。つまり、あまりの異常さに笑ってしまうというもの。舞台は、アメリカのオクラホマ州。バーで働くアグネス(アシュレイ・ジャッド)は、最近仮釈放された元暴力夫から逃れるように、モーテルで暮らしていた。アグネスは、友人のRCからピーター(マイケル・シャノン)を紹介され、アグネスとピーターは次第に互いに打ち解けていく。そして、二人は一夜を共にすることに。ピーターはアグネスのモーテルの部屋に虫がいることにこだわり、殺虫剤を買ってきて虫を一掃すると言い出す。アグネスには見えない虫だったが、やがてアグネスも・・。
狭いモーテルの中での密室劇ではあるが、カメラ・アングルにこだわって撮られていて、臨場感たっぷりの仕上がりになっている。後半のアシュレイ・ジャッドとマイケル・シャノンの狂気じみた演技は、物凄い迫力。マイケルは、最近見たことがあるなと思ったら「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」にも出演していて、そちらでも「正気の沙汰じゃない」役をこなしている。ピーターはいわゆるパラノイア(妄想症)で、虫が自分の体内で巣作っていると思い込んでいるのだが、その精神的な病いを「悲しく」または「怖く」描いたのでは、ありきたりになってしまう。ピーターの狂気を観客が笑ってしまうほど異常にまで見せているところが、本作の髄ではないだろうか。テンポもよく、ラストに向かって勢いは加速していく展開は、観客を飽きさせない。
誰にでも「思い込み」や「こだわり」があり、それがエスカレートすることはあり得る。過去自分に起こった不幸な出来事と、現在自分に起こっている事象を関連付けてしまうことも・・。特に、アグネスは過去に息子を失った悲しみと、現在も元夫から逃れようとしている精神的不安定な状態にあるため、ピーターに同調することで彼女は安定を求めたとも言えるだろう。まさに、妄想の世界に逃げ込んだわけである。そして、二人のお互いの相乗効果により、妄想に歯止めがかからなくなるわけで・・。いちばん、冷静に現実を見つめているのはRCであるはずなのに、二人によってRCが結局悪者にされているところは、もう狂気を極めているとしか言いようがない。
ピーターが「湾岸戦争症候群」であるということが観客の立場からわかってしまうのだが(ここは、さすがに笑えません)、これが本作の顚末を暗示する伏線となっている。ピーターがまず虫音だと思ったのは天井の煙感知器・・ここにも、これからエスカレートするであろう彼の妄想の世界が示唆されている。そう考えると、あの無言電話は本当に鳴っていたのか・・とか、その無言電話が元夫からの電話だと「思い込んでいた」アグネスも、もともと精神的に正常な状態ではなかったのでは・・とか、いろいろ考えられる。もしかして、ピーターの存在自体すら、アグネスの妄想だったりして・・。BUGというタイトルはコンピュータを破壊するバグと虫のバグをかけているそうだが、そう考えるとピーターがお医者さんに「マシーン、マシーン!」と叫んでいたところにもブラックな意味があるような。
クライム・アクションだと思って鑑賞したが、意外にも家族愛がテーマのヒューマン・ドラマであった。でも、「それはそれでOK」と満足のいく「良い意味での期待外れ」の作品。1988年のニューヨーク。父(ロバート・デュヴァル)がニューヨーク市警警視、兄(マーク・ウォールバーグ)がニューヨーク市警警部という警察一家に生まれたボビー(ホアキン・フェニックス)は、ナイトクラブの支配人として、恋人のアマダ(エヴァ・メンデス)と共に自由で優雅な生活を送っていた。ある日、このナイトクラブに出入りするロシアの麻薬の売人を捕まえるために、兄がガサ入れを行う。しかし、麻薬の売人は取り逃がし、その場にいたボビーは麻薬の不法所持で捕まってしまう。ボビーは、兄の計らいですぐに釈放されたが、自分の店をガサ入れされたことに腹を立て、二人は大喧嘩。その夜、兄は何者かに銃撃され瀕死の重傷を負ってしまう。それが警察を全く恐れていない麻薬の売人の報復と知るボビー。ボビーは、このままでは警視である父まで殺されてしまうと思い・・。
アンダーカヴァーとは潜入捜査のことを意味し、原題は“We
Own the Night”(俺たちが夜を支配する)。1980年代にニューヨーク市警犯罪捜査班で使われていた標語らしい。音響も相まってかなりの迫力だったカーチェイスがCGと知った時は驚いたが、潜入捜査のアクションは緊迫感に満ち見応えがある。近代もののアクションほど派手さはないが、張りつめたテンションと重厚な映像で、充分スリリングな内容となっている。音楽も凝っていて、クラブのシーンで流れるブロンディもさることながら、後半のシーンを盛り上げるヴォイチェック・キラールの音楽も渋い。ストーリーは、ベタだがかなりしっかりしている。それにホアキンのアウトローぶりが板についていて、存在感たっぷり。ボビーの心理的な葛藤や、兄弟の確執と絆なども、うまく描けていると思う。
家族同様に親しくしていたロシアの一家と警察である父や兄との板ばさみという状態、父の期待に添えなかった後悔、エリートの兄に対する反抗心・・苦悩するボビーを演じるホアキンの演技は、胸に迫るものがあった。ホアキンに対し、マーク・ウォールバーグの存在感がイマイチ。自由に生きる弟を羨みながら、生真面目に生きている兄の苦悩があまり伝わってこないのだ。ボビーの視点からのお話というわけなので、兄の心情が一人称で描かれていないのも、頷けるわけだけど・・。
全体としては、濃淡があまりなく地味な感じではあるが、まったく飽きることなくラストまで一直線で鑑賞できた。その割には、出だしのシーンがセクシーすぎる。エヴァ・メンデスの魅力は、この出だしではなく、恋人と一緒に苦悩する中盤で溢れていると思うので、最初のシーンはあまり必要ないような。全体と出だしのアンバランスさが、ちょっと気になってしまった。ラストカットは、ボビーの妄想ではなくリアルであってほしい!
それにしても、ホアキンが昨年10月に映画界から退くことを宣言したのには、ビックリというか残念!しかも、34歳の若さで・・(絶句)。ホアキンをスクリーンで観ることができるのも、残りあと一作・・?今後はミュージシャンとしての道を歩んでいくのだろうか・・(一旦は退いても、またハリウッドの舞台にカムバックしてくださいね〜)。★3.6
詩物語を映画化したような作品。1938年のルーマニア。70歳を迎えた言語学者ドミニク・マテイ(ティム・ロス)は、彼の最愛の女性ラウラ(アレクサンドラ・マリア・ララ)と別れ、すべてを捧げてきた言語の起源の研究すら全うできない自分の人生に絶望。誰も知らないところで自殺をしようと考えていた。しかし、駅から降り立ち、突然降り始めた雨の中傘を広げようとしたドミニクの身体に落雷が・・。落雷によって全身大火傷を負い、病院に運び込まれたドミニクは一命を取り留める。そして、10週間後にはすっかり元気になった上に、30代の若さにまで回復するという奇跡が起こる・・。
原題は“Youth without Youth” (若さなき若さ)で、どういう意味なのかチンプンカンプン。邦題となっている「胡蝶の夢」とは、中国の戦国時代の宋国に産まれた思想家である荘子による有名な説話で、「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだところ、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」というもの。この邦題から、ラストの締めが大体想像できてしまう。一体どこまでが現実でどこからか夢なのかわからない摩訶不思議なワールドがお好きな方は、楽しめるかもしれない。映像も、華やかで幻想的。舞台はルーマニア、スイスからインドやマルタ島に及ぶ。それらの風景も、素晴らしい。
しかし、中盤においては、輪廻転生やカルマなどの東洋哲学的な話が中心になり、これについて行ける人と行けない人で、作品の好き嫌いが大きく分かれてくると思う(ちなみに、私はついて行けず、途中何度も眠りに落ちてしまうことに)。『無為自然』(「作為を持たず自然に任せる」という考え方)や『一切斉同』(「全てのものは等しく同じ」という考え方)がベースになっていると思われ・・。インドの賢者がルピニに語る「形もなく、感情もなく、選ぶこともせず、何の意識もない。すべてが消え去る、はるか遠くに跡形なく。それが悟りなり。『無』とは深い言葉だ」が、これらの考え方を象徴していると言えるのでは。コッポラが東洋哲学を好んでいたことが窺える。
アレクサンドラ・マリア・ララの存在感が、光っている。彼女は、ドミニクのかつての恋人ラウラ、ドミニクがスイスの山で出会うラウラに生き写しの女性ヴェロニカ、そして何度も輪廻転生していく中でどこまでも古い言語に遡るルピニの三役を一人でこなしている。彼女自身がもともと美しい女優さんだが、コッポラは女性を美しく撮ることに長けていて、三人の女性をより美しく見せているのだと思う。
全体としては、メリハリがない。また、観る側のことを考えずに自分の興味のあるモチーフで作り上げた世界といった印象。発想は「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」を思わせる節があり、出だしはなかなか面白いかもと思ったのだが、中盤から映画を作る側の独自の世界が築かれており、観客にとってはあまり親切な作品ではないように思えた。なので、アレクサンドラ・マリア・ララのファンの方、東洋哲学に興味のある方、詩的な作品がお好みの方以外には、あまりおススメできない。また、東洋哲学も特に極めた上で制作されたという感じではなく、ただそれへの憧れからユニークな世界観を展開したような感じ。「三本の薔薇」についても、もう少し説明がほしいところ。★2.4
作品のイメージ:萌え、ドキドキ・ハラハラ、おしゃれ
出演:ヒュー・ジャックマン、ユアン・マクレガー、ミシェル・ウィリアムズ、リサ・ゲイ・ハミルトン
辛口のレビューにならざるを得ないサスペンス・ドラマ。舞台はマンハッタン。クライアントの事務所で独り黙々と仕事をする会計士のジョナサン(ユアン・マクレガー)は、ある日弁護士のワイアット(ヒュー・ジャックマン)に出会い、お互いの携帯電話を取り違えて持って帰ってしまう。そのことから、ジョナサンは一夜限りの情事を楽しむエグゼクティブ限定の会員制秘密クラブの存在を知り、甘美でスリリングな夜の世界にはまってゆくのだった。そして、以前に一度地下鉄の構内で見かけたことのある、名前が“S”で始まる美しい女性とそのクラブで出会い、心を奪われていく・・。
原題がDeception(詐欺とか偽装とか・・騙されること)だと知った段階で、おおよそのネタの見当がついてしまった。意味ありげな邦題、ミステリアスな予告編とちょっと魅惑的なこのジャケットに惹かれてレンタルしたのだが、それこそ「騙された」という感じ。
既にみなさまがご指摘の通り、主なツッコミどころとしては:
― ジョナサンを騙そうとするのであれば、そもそもそんな大がかりな仕掛けを張らなくてもいいのでは?
― わざわざPG-12指定にするほどのエロティック・サスペンスか?
― ストーリーに、なんら意外性がないのでは?(クラシカルなサスペンスの王道なのかもしれない。だけど、「ヒッチコック的」と称されている方もいるが、そこまでのレベルでもない。)
― お願いだから、大金の入ったカバンを公園に置いていかないでくれる?(愛も大切だけど、好きな人と一緒に生活するためのお金も大切だと思うよ、ジョナサン。いきなり純愛路線に持っていかないでほしいのよね。)
などなど(細かい点を挙げるとキリがないので、これくらいにしておきます。)
真面目な会計士を演じるユアンと今回は悪人を演じるヒュー目当てならば観て損はないけど、特にどちらのファンでもないという方にはあまりおススメできない作品。しかし、脇を固めているのは、ミシェル・ウィリアムズ、シャーロット・ランプリング、マギーQ、ナターシャ・ヘンストリッジやリサ・ゲイ・ハミルトンなど錚々たる顔ぶれの美しい女優さんたち。つまり、陳腐なストーリー展開、深みのない脚本や希薄なオチで、すばらしいキャスティングをぶち壊してしまっているということになる。なんと勿体ない・・!
キャスティング以外にこの作品の良い点を必死で探した結果、マンハッタンの美しい夜景、豪華なホテルやマドリッドの風景の映像が楽しめるということと、ユアンとヒューの演技がまずまずであることくらい。最後に超個人的な意見を言わせてもらえば、ユアンの真面目な会計士役に好感は持てたんだけど(いつもの七三分けで・・そう言えば昨日観た「天使と悪魔」でもまたまたこのヘアー・スタイルでした)、彼のダサダサな白の下着姿は観たくなかったなぁ。★2.3
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